2012年03月20日

LOVE(抱きしめたい) 安めぐみ






沢田研二 「Love ~抱きしめたい

   安めぐみ Movie Photo



沢田研二「 LOVE(抱きしめたい)」(1998)



昔のホームページを振り返りながら、登載して来ましたが、

一番ショッキングな「親友の死」になってしまいました。

今年、お陰様で還暦を迎える中、一番意識して来たことが

50過ぎで亡くなった親友の分まで生きて、「還暦」だけは迎えることが

第一目標でした。


喉 の 小 骨(遠方地の長期未解決事故)
平成16年1月5日

長い間未解決であった事故案件が最近やっと解決した。その事故は日本の南方の地で起こった。三河に住んでいた顧客のAさんは10年前頃その地に引っ越した。そして生活にも落ち着いた2年前、Aさんの家族が事故を起こしてしまった。引っ越し当時、自動車保険の契約はその地の代理店を紹介するからそちらでするようにお願いをした。しかしAさんの立っての依頼で当事務所で継続契約をする事になった。とはいうものの、余りにも遠い地方なので裏でその地の代理店に「事故があったら協力を」と依頼しておいた。

・・・そして初めての事故は起きてしまった。事故当日すぐに私のところに連絡が入った。相手方は即入院という大きな人身事故。すぐに依頼しておいた代理店に事故の対応を依頼したがどうも動きが悪かった。それではと保険会社の最寄の担当者に連絡して「すぐに相手方のところに飛んで行って下さい」と頼んだが、「いくら何でもすぐには行けません」と断られた。仕方なしに私のネットワークを活かして再度保険会社に圧力を掛け依頼したところ、すぐに対応してしてくれた。その後2年間の時が過ぎた。担当さんから毎月必ず私と契約者双方に被害者対応の経過報告をいただいた。私は性格上どうしても現場をきちんと見ておきたい。そして、本当に親身になって動いて下さった保険会社の担当の方に是非御礼を言いたい。そう考え昨年その南方の地に家内と一緒に行って来た。




そして帰ってきた時「こんなことなら事故直後に行っておくべきだったなあ~」と深く後悔した。事故当時Aさんには「どうしてもと言うことなら行きますが・・」と申し出たところ、Aさんは「どうしても来て欲しいことがあったらこちらから航空券を送りますから、その時は来て下さい」との返事だった。その後1年半の時が過ぎた。相手方の怪我は思いのほか重く、結果的に後遺症が認定される程の重傷であった。示談交渉の最後の最後にはAさんにも苦情が入る程の状況となってしまった。私は自分の目で事故現場を見て、事故状況がお互いさまであると考え、強い主張が出来たため何とか円満解決した。

今は、この2年間私の喉の奥に刺さっていた小骨が取れた思いである。過去にも長崎や東京に事故処理に出向いたことはある。一昨年は中国で起きた事故の現場確認で中国まで行った。たとえ遅くなっても、「何事も自分の目で見て、自分の耳で確認する」この信念を通して本当に良かったと思う。そして私は強く言いたい”あなたの保険屋さん、そこまでやってくれますか?”と。私の自己満足の世界かも知れないが、たとえ遠方でも自分を信頼して契約して下さる顧客に対し、その責任のお重みを痛切に感じた。そういうところにこそ本当の信頼関係が出来上がるのである。この遠方での事故を通し深く反省し、今後の活動の課題にしていかなければならない。







平成16年7月22日  親友の死
親友の一人T氏が亡くなった。彼は、息子の中学校時代のPTA仲間で創ったMITO倶楽部のメンバーである。メンバーは4人、飲み会をしたり、ゴルフもやっていた。T氏はパン屋さんを経営していたが、私たちは彼の定休日に合わせて定期的に麻雀をしていた。毎年正月には、ロングランで新春麻雀大会も恒例化していた。2年前(平成14年)には、4人で北陸にゴルフ&麻雀旅行もした。そして今年の9月にも三重県の榊原温泉にゴルフ旅行を計画していた。この6月には、彼だけ急用でゴルフは出来なかったが、夜の飲み会には参加した。今月の月例麻雀にも当然元気に参加した。・・その彼はもういない・・。

彼が脳梗塞で倒れたのは6月25日(金)早朝であった。翌日、仲間3人でお見舞いに行ったが、意識不明状態。そして6月29日(火)午前2時に帰らぬ人となってしまった。MITO倶楽部メンバーの年は、Mの私は52歳、I氏とO氏が51歳、T氏は一番若く50歳であった。・・何で彼が・・、29日朝に奥さんから連絡が入り、私達はすぐに飛んで行った。彼はただ眠っているだけ、起こせば起きそうな顔であった。葬儀の日、棺の中でもいつもの笑顔に見えた。私達は、彼が死んでしまったとは信じられない思いで火葬場まで見送った。彼は酒は一滴も飲めなかったが大のカラオケ好き、いくら急に誘っても断らなかった。いつも笑顔で迎えに来てくれた。

彼の声はどちらか言うと、小椋佳、村下孝蔵の声にそっくり。レパートリーは幅広く、サザンオールスターズから前川清までこなし、歌が本当にうまかった。オートバイも大好きでツーリング仲間や一人でよく走っていた。本当にいつも笑顔で愛想がいい人間だった。彼には、双子の息子と娘がいる。その双子の兄弟は我が息子と同級生であった。

今だに忘れられない思い出がある。その双子兄弟が小学校時代の誕生会に息子を招待してくれた。誕生会の後に子供たちを彼がボーリングに連れて行ってくれた。お店もあり忙しい中、沢山の子供達と一緒に。そんなこともあり、今は離れて暮らす我が息子にも訃報はした。息子は飛んで帰って来て、葬儀に参列した。

そんな訳で、彼とは昔から顔見知りではあったが親しく付き合い出したのは、平成9年に彼からPTAの役員を引き継いでからであった。本当にどんな時も笑顔で迎え、イヤな顔や怒った顔は一度も見た憶えがない。倒れる二日前の夜、家内と夜のウォーキングの帰り道、彼のお店に寄り立ち話もした。前日もお店の前で元気な姿を見たのに・・・。彼がもうこの世の人でないとは、今だに信じられない思いである。






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Posted by オレンジ~おや?方? at 22:00 │ひとりごと